企業インタビュー
津田電線株式会社へのインタビューを行いました
2025年01月29日 京都市

津田電線株式会社
執行役員 人事総務部長 杉本 登志人様(左)
経理部 経理課長 山本 学様(右)
1.事業概要
事業概要について教えてください。
当社は、日常生活や産業に欠くことのできない、重要なライフラインである「電力」や「情報」を伝達する電線を製造している会社です。電線には主に電力供給用と通信用の2種類があります。また、新しい事業領域として光ファイバー関連応用製品を開発・生産しています。当初、通信用として主に使用されていた光ファイバーは、今や光計測やレーザエネルギー加工、医療器具など幅広い用途があり、これからまだまだ伸びていく分野です。
貴社の強みは何ですか。
当社は鉄道の信号用ケーブルに強みを持っています。鉄道関連でいうと、列車や線路には電線が細かく神経のように広がっているんですよ。電線は信号用だけでなく通信用にも使用されており、列車の中で「次は○○駅」とアナウンスが流れるのは、電線が列車の中に張り巡らされているからなんです。また、新規事業である光ファイバー線には銅ではなく、ガラスやプラスチックが使用されています。線が髪の毛よりも細いので、かなり繊細な作業が求められますが、作業員の技術により効率良く高品質な製品が生産できるよう取り組んでいます。
2024年に創業170周年を迎えられたのですね。
そうです。1854年(安政元年)に、創業者の津田幸兵衛が近代伸銅発祥の地である京都で、高野川の水車を利用した銅線引き事業を始めたのが当社のルーツです。当時はまだ電線は普及していませんでしたが、神社仏閣の屋根瓦を固定するために銅線が使われており、京都では需要が多く伸銅業がさかんでした。
伸銅業から電線製造業へと変化したのは
いつ頃だったのでしょう。
1881年に、国内初の通信用銅電線を開発しました。当社は福井県にある面谷銅山の銅を用いて銅電線を製造していましたが、面谷銅山の銅は銀を含み導電率が高かったため、明治政府の成立とともに日本の近代化が進む中、電気用の銅線として需要が増えていきました。1890年にはゴム被覆線の開発に着手し、本格的に伸銅業から電線製造業へと変貌を遂げました。

電線製造業となってからは、
どのように歩まれてきたのでしょうか。
当社は、京都産業の発展とともに歴史を歩んできました。明治時代の初め、天皇が京都から東京へ移られたことをきっかけに、京都の街は人口流出が起こり、産業が衰退してしまいました。そこで、京都産業の再活性化を目指し、日本初の営業用水力発電所と日本初の路面電車という大事業が行われました。この2つの事業において、重要となる電気を送るための送電線やトロリー線を当社が供給するなど、深く関わらせてもらいました。

貴社なくして京都の発展は語れませんね。
そうですね。京都で初めて外灯が灯った際にも、当社の送電線が使用されていました。初めて灯った場所が先斗町辺りなので、敬意を表して先斗町にもよく行っています(笑)明治初期からの貴重な資料も数多く残っており、近代産業の研究をされている方がいらっしゃることもあります。長い歴史を歩んでいるので、明治時代から取引がある企業さんもいらっしゃるんですよ。
現在に話は戻りますが、従業員の方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
従業員は、現在100名程度です。現在の幹部やベテランなどは新卒で入社していますが、ここ数年では中途採用を積極的に取り入れています。また、海外からの技術者も1名います。5年ほど前の話ですが、その技術者を採用する際に、実際に現地のベトナムに行って面接をしました。
海外から採用しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
大卒の技術系が採用できず、一度やってみようということで現地のベトナムまで行きました。初めての海外だったのですが、野良犬がたくさんいたり、舗装されていない道があったりと、カルチャーショックでした。面接は、お互いの第二言語である英語で話そうと思っていたのですが、いざ当日になると英語が全然分からないとのことで、ジェスチャーでなんとか乗り切りました(笑)その時採用した従業員は今でも働いてくれているので、今となっては良い思い出です。
2.京都府について
工場移転などはありつつも、創業以来、
京都で事業を継続していただいていますね。
当社からすると、京都以外に選択肢がありませんでした。洛北の地から始まり、そこから京都府内でずっと事業をしてきたので、京都以外の選択肢は考えられなかったです。本社を移転する際には、当社にゆかりのある場所という代表の想いから今の伏見に決めました。
京都での事業環境はどうですか。
事業はしやすい環境にあると思います。京都には大学が多く、産学連携がさかんな街なので、新しい事に取り組む企業と合致しやすいと思っています。また、産学連携を熱心にサポートしてくれる支援団体もいらっしゃるので、そのような要望がある時には、しっかりサポートしてもらえる環境があると思います。

3.これからの展望について
貴社のこれからの展望について教えてください。
時代によってお客様のニーズは変わっているので、電線という軸は持ちつつも、新規市場や新製品についても開拓していきたいと思っています。また、光ファイバーケーブルという新しい分野についても伸ばしていき、いずれは当社事業の2本目の柱にできたらと思っています。昭和6年に、株式会社を設立した時からある社是「社会のために良い製品をより安くより早く」を大切にしながら、日々成長していけたらと思います。
4.京都府へ立地を検討している企業へのメッセージ
京都府へ立地を検討している企業へのメッセージをお願いします。
京都人は色々と揶揄されることもあり、京都というと伝統的で閉鎖的なイメージがあるかもしれません。しかし、日本初の路面電車が京都で開通するなど、閉鎖的に見えていても実はイノベーション溢れる地だと思います。新規の事業でも受け入れられる土壌があると思うので、京都に立地された際には是非一緒に頑張っていければと思います。